202X年4月。
青仁高等学校。
3年6組の帰りのホームルーム。
先生「3年になったばかりですが、明日金曜日は実力テストですね。」
クラスがざわつく。
先生「はい、静かに!来週からは面談も始めていくから、今から配る紙を今週中に提出することー」
そういって、先生は「志望校調査」というプリントを配布し始める。
葵「はぁー、志望校か・・・特にないなー。そもそもどこの学部に行きたいかもよくわからないし」
在川葵(ありかわ あおい)は前の席の生徒から受け取ったプリントを眺めながら独り言を言う。
先生「今回の実力テストはAクラスもBクラスも同じものを行うから、ちゃんと勉強しとけよー。Aクラスに負けるなよ!」
生徒「いや、そんなん無理でしょ。」
先生「無理じゃない!!気合でがんばれ!」
チャイムの音が鳴る。
先生「とにかく、もう3年生になったんだ。しっかり受験のスイッチを入れるんだぞ。はい、じゃあ号令!」
青仁(せいじん)高校…偏差値60前後の進学する生徒がメインの公立高校。2年生、3年生には文系理系それぞれAクラスと呼ばれる特別進学クラスが存在する。Aクラスからは毎年、東京大学や京都大学などの難関大学への合格者が数名出ている。
〜放課後〜
真央「葵〜」
彼女の名前を呼びながら、遠くからショートヘアの女子が葵のもとへと近づいてくる。
真央「今日部活終わったら駅前の塾の体験に行ってみない?Aクラスの子たちもけっこう通ってて評判いいらしいよ」
山田真央(やまだ まお)はそう言って、葵の前の空席に座った。
葵「そういえば、うちの親も、最近進路について心配してくるんだよね。塾とかいかなくていいの?って」
真央「うちのクラスも半分以上は塾に行ってるし、私たちも行っといたほうがいいよね。。」
葵「うーん、たしかに。。行ってみよか?」
真央「大学生のわかりやすい先生がたくさんいて楽しいらしいよー。なんか楽しみになってきた。」
葵「(もう3年生か・・・私、この先どんな大人になっていくんだろう)」
真央「じゃあ、私先に行くね。先に終わった方が連絡いれよう。」
サッカー部マネージャーの真央は、在川に別れを告げ、教室を出た。
葵「私も行こっと。今日は、Cコートだっけ。」
在川もバッグを肩にかけ、教室を後にした。
葵「(最近、部活行くのイヤだな・・・)」
葵は所属する女子テニス部の中で、自分が少しずつ浮き始めているのを感じていた。
部長でエースの服部菜々(はっとり なな)を中心としたグループから冷たい視線を浴びているのだ。
高校入学時から、服部はテニスが上手く、カリスマ性もあり、葵の尊敬するプレイヤーの一人だった。
しかし、昨年の秋、先輩たちが卒業して彼女が部長に就任してから、服部の様子が一変した。
部室で、たびたび仲間と他人の悪口をいって楽しみ、自分の気に入らない者に対して、嫌がらせをするようになった。
葵も、はじめは服部のグループ内でそれなりに上手く立ち回っていたが、精神的に耐えられなくなり、服部たちが悪口を言い始めるとその場を離れるようになった。
そして、1ヶ月前、部活終わりの部室でのこと。
葵は、親しくしていた友達のことを中傷している服部たちに、我慢できずに言ってしまった。
「そういうの、やめたほうがいいよ。」と。
それ以来、葵も服部たちのターゲットの一人となってしまっていた。
在川「(ただ楽しくテニスしたいだけなのに・・・)」
葵が部室に入ると、服部は数人の女子といつものように話し込んでいた。
服部「バスケ部キャプテンの平くん、京大受けるんだって。」
女子A「あれ、前まで神戸大って言ってなかった?」
服部「今日、帰りのホームルームで志望校調査の紙が配られたでしょ。だから私、そのあとで平くんに聞いてみたの。そしたら、京大に変えたんだって。」
女子B「そうなんだ、やっぱ平くんすごいね。」
服部「わたしも京大目指そうかなー。塾の先生にも言われたけど、今の成績ならわたし、全然いけそうなんだって!」
女子A「えー、すごいじゃん。菜々ならいけるよ。塾って駅前のだっけ?」
服部「そうそう。京大生の先生が担当だから、本当にわかりやすいよ。平くんも最近入ったんだよ。」
女子A「わたしも今の塾やめて、そっちに変えようかなー。」
女子B「平くんと奈々と、うちのクラスは京大志望が2人もいて心強いわー」
服部「担任にも言われたけど、わたしたちAクラスが青高を代表してるんだから、がんばらないとね。」
女子A「確かに、なんかかっこいいね笑」
葵「(あの駅前の塾、服部さんも行ってるんだ)」
葵は、着替えながら、服部たちの会話を何となしに聞いていた。
服部「あれ、葵ちゃん。いつの間にいたの?ごめん、気づかなかった笑」
女子AB「クスクスッ」
服部「葵ちゃんは、志望校どこなの?」
葵「えーと・・・わたしは・・・」
服部「あ、ごめんね。いいの、言いたくないなら。葵ちゃんがBクラスなの忘れてた。」
服部は皮肉を込めてやさしくフォローする。
服部「でもがんばってね。どこの塾に行ってるの?」
葵「塾には行ってないよ・・・」
女子A「え?じゃあ通信教育?」
葵「いや、それもしてなくて・・・」
女子B「はぁ?まさかまだ何もしてないの?」
葵「・・・」
女子A「やっぱ、Bクラスの考えてることはわからない。意味不明〜」
服部「それならわたしの行ってる塾に来たら?」
女子B「葵ちゃんにはもったいないよ、猫に小判だって」
服部「それもそうね。」
女子AB「ハハハ」
部室に冷たい笑い声が響く。
葵「・・・いいよ、わたしだって、そんな塾行かないから」
服部「あ、ごめん。怒っちゃった?」
葵「そんな塾行かなくても、自分で勉強できるから!!」
これまでの我慢が堰(せき)を切ったように溢れ出し、思わず葵は叫んでしまった。
服部「へぇー。そんなに言うなら、私と勝負しましょう?」
葵「勝負?」
服部「明日、実力テストがあるでしょ。その点数で勝負しましょう。もちろん、AクラスとBクラス同じテストだから、これじゃ勝負にならないし、あなたにハンデをあげるわ。実力テストは3教科で合計600点だけど、私の点数は、一番点数の低い1教科だけでいいわ。だから、最大で200点ね。」
葵「え?」
服部「もちろん葵ちゃんは、3教科の合計でいいわ。」
葵「・・・ふざけないで。そんなハンデいらない。」
服部「大丈夫。その方が私も勉強にやる気が出るし。その代わり・・・」
服部は一呼吸おいて、言い放った。
服部「私が勝ったら、葵ちゃん、もう部活に来ないで。3年生最後の部活、楽しくやりたいの。邪魔だから辞めて。」
女子A「菜々、きびしっ笑」
葵「・・・わかった。じゃあ、私が勝ったら、あなたが部活を辞めてね。」
服部「いいわ。約束してあげる。」
葵「それから、ハンデなんかいらない。堂々と服部さんより点取って見せるから!」
服部「せっかく、優しくしてあげてるのに。。馬鹿なの?後悔しても知らないから。月曜日の昼休み、返却されたテストを持って、食堂に集合。逃げたら、あなたの負け。」
葵は、ロッカーを開け、ユニフォームを脱いで制服に着替え直しはじめた。
女子B「あら、あと数日しかテニスができないのに、帰っちゃうの?」
女子A「今から、独学で猛特訓でしょ。がんばってねー笑」
葵は、ぐっと歯を食いしばり、急いで着替えを済ませると、部室を飛び出した。
葵「うっ、グスッ。。悔しいよ。。」
こらえていた涙がこぼれ出す。袖で涙をぬぐいながら駅に向かって歩き出した。
葵「ひどい。。。なんでこんな目にあわないといけないの。私、何も悪いことしてないのに」
景色が涙でにじむ。
ようやく涙が収まった頃に、駅についた。
学校のある駅から家までは3駅で、夕方になり、車内は混雑し始めていた。
葵「(あとで真央にあやまらないと・・・今日、あの塾にはいけない。というかもう絶対行きたくない。)」
ぼんやりと電車に揺られているうちに、いくらか気持ちは落ち着いてきた。
葵「(私、Aクラスで、京大志望の服部さんに勝てるんだろうか・・・ダメ、弱気になっちゃ。死ぬ気で勉強すれば勝てるかもしれない!)」
葵は、電車を降りて、駅前の書店に入った。
参考書コーナー、葵がここに来たのは初めてだった。
葵「へー、参考書ってこんなに種類があるんだ。」
はじめのうち、期待してタイトルを眺めていた葵は、数分もすると疲れてしまった。
葵「多すぎる・・・しかもどれを選んでいいのかわからない・・・」
葵「これ、いいかも。『最強の英語』。なんかできるようになりそう」
棚から分厚い本を取り出し、ペラペラとめくってみる。
葵「ううっ、わからん。やっぱ英語は後回しにしよう。そうだ、現代文にしよう。」
葵は、本を書架に戻し、となりの棚の少し薄めの参考書を手に取った。その本には『初心者からの現代文』というタイトルが書かれており、表紙には有名予備校講師がビシッとポーズを決めて写っている。
葵「・・・ダメだ。初心者から、って書いてあるのに頭に入ってこない・・・」
葵「はっ(もしかして、私、初心者以下ってこと?・・・)」
葵「・・・帰ろう」
葵は、本を元に戻し、とぼとぼと書店を後にした。
どれだけ書店に滞在していたのだろうか。少しずつ日が長くなってきたとは言え、もうすでにあたりは暗くなり始めていた。
葵「どうしよう・・・自分で勉強するっていっても、定期テストはいつも平均点かそれより下。それなりに勉強したつもりだけど、いつもこんな結果。ダメだ、絶対勝てないよ・・・」
葵「結局、人生で成功する人って才能のある人だけなんだ。もうなんかどうでもいいや・・・」
自宅
葵は、すっかり、沈み込んだ様子でマンションの前まで帰ってきた。葵の家は、マンションの405号室。無心でエレベーターの4階のボタンを押し、右上ディスプレイに表示される階数をぼーっと眺めていた。
いつもより扉が重く感じる。
葵「ただいまー」
母「葵、ちょうどよかった!今から、家庭教師の先生が来るから、ちょっとそこ片付けるの手伝って!」
葵は、あわてて部屋を片付ける母の様子を見て、事態の把握に努める。
葵「え?家庭教師?」
母「そう、俊(しゅん)の家庭教師、18時30分からいらっしゃるの。俊、今年高校受験でしょ。ちょっと勉強する気になったみたいで、自分からやりたいって言ったのよ。」
俊「まぁ、僕は姉ちゃんと違って計画性があるからね。」
自分の部屋から出てきた俊は、そうじに使ったと思われる雑巾を母に返しながら言った。
葵「うるさい、弟。(家庭教師か・・・)」
ピンポーン。
18時27分。インターホンが鳴った。
母「あ、先生来られたみたい。」
母は、受話器を取り、簡単に受け答えをしたのち、オートロックを開錠した。
葵「(俊の家庭教師、どんな人なんだろう?)」
葵はリビングにあるダイニングテーブルに座って、母と弟の姿をぼんやり見ていた。
ピンポーン。
数分後、再びインターホンが鳴った。家庭教師がドアの前に到着したのだろう。
母「ほら、葵も来て。」
廊下へと向かいながら、母は葵を呼ぶ。
二人から少し遅れて葵が廊下を歩いていると、玄関に一人の男性が立っていた。
その男性は葵の母に向かって、微笑み、ペコっと頭を下げた。
考「はじめまして!今日から、家庭教師としてお邪魔します。浪越考(こう)と申します。よろしくお願いします!」
そう言って20代後半くらいと見える男は、名刺を取り出し、母に渡した。
次回へつづく→第2話:「勉強する動機」