連載ストーリー

第5話「エリートの受験」

 

前回のあらすじ〜

青仁高校3年6組、在川葵(ありかわ あおい)は、弟の俊(しゅん)の家庭教師としてやってきた浪越考(なみこし こう)のアドバイスを試し、実力テストを受ける。勉強の楽しさを垣間見た葵は、受験生としての1年間を悔いのないものにしたいと考に家庭教師になって欲しいと願い出る。

葵の評論文のテストの点数は、Aクラスの服部奈々(はっとり なな)を上回り、その答案は職員室の教員たちの間でも、話題に上っていた。

 ーーー学校の昼休みーーー

真央「えー!葵、部活辞めたの!?」

購買で買ったメロンパンを食べながら真央は驚きの声を上げた。

葵「うん」

葵も同じメロンパンを食べながら答える。

 

真央「もう最後の大会を残すだけなのに。なんかあったの?」

葵「まぁ、今年受験だし、最近部活面白くないなって思ってたから・・・」

Aクラス(難関大志望者選抜クラス)の服部奈々と実力テストの勝負でボロ負けして、部活を辞めることになったとは真央には言えなかった。

真央「そっかー。まあ、うちの学校はどこも全国大会に出るほど強い部活ないし、受験に専念するならそれもアリかもね〜。」

真央はそこまで深く詮索しようとはせず、葵の決定を尊重した。

真央「あ、私ね、前言ってたあの塾、入ることにした!優しそうな大学生の先生が教えてくれるから安心。葵も部活辞めたんだったら、塾とか行けば?私が紹介してあげよう。今さ、紹介キャンペーンがあって、私も葵も3回分の授業が無料になるんだって!」

葵「それ、真央が無料授業枠欲しいからでしょ。」

葵はじーっと目で真央を非難する。

真央「ふふふ、ばれましたか。でも、それだけじゃなくて、葵と一緒に行ったら楽しいじゃん。きっとお互い成績も上がるよ!テニス部の服部さんとか、Aクラスの人たちもけっこうここ通ってるらしいし。」

奈々の名前が出た時に一瞬動揺したが、もはや葵にとっては関係のない話だった。

葵「ありがとう。でも、私はいいや。」

葵は、真央に感謝を告げて断った。

真央「なんで?」

葵「家庭教師、お願いしたんだ。」

真央「えええ!いつの間に?!」

真央は先ほどよりももっと大きな声で驚いた。

葵「そんなびっくりしないでもいいじゃん。」

真央「いや、ごめんごめん。大学生??」

葵「いや、もうちょっと年上かな。」

真央「すご、プロの家庭教師じゃん。どこの大学出身なんだろう。」

葵「・・・知らん。」

真央「え。」

一瞬、沈黙が流れる。

真央「いやいや、プロなんだから、『東大生が教える』とかそういうのじゃないの?」

葵「もともと俊の家庭教師で来た人で、母が見つけてきた人だから詳しいことは分からないのだ。」

葵は誤魔化すように茶化して答えた。

真央「いや、結構大事だよそれ。うちの塾は教室の『先生一覧のコーナー』にどこの大学の何年生かが書かれてて、ちゃんとその志望校の先輩から教えてもらえるから安心なのに。」

葵「(そういえば、あの人の学歴なんて全然気にしてなかった。)いや、まだ家庭教師をお願いしただけで、詳しい話はほとんどしてないから、今度聞いてみるよ。」

葵は真央の勢いに若干押され気味で答えた。

真央「うんうん、それがいいよ。うちの塾に来たくなったらいつでも私にいうんだぞ。」

葵「業者め。」

 

真央「あ、そういえば、バスケ部キャプテンの平(たいら)くん。あの人もうちの塾にいたよ。」

平順士(たいら じゅんし)。男子バスケ部の部長であり、Aクラスの中でもいつも上位層に位置しており、今年の青仁のエースだと教師陣からの期待も大きい。

葵「へぇー、服部さんや他のAクラスのメンバーもいて、そろってるね・・・」

真央「さすがは京大志望だ。私たちとは住む世界が違うよ・・」

二人でため息をつく。

葵「あ、そうだ。真央、志望校調査、どこって書いた?」

葵が話を変える。

真央「わたしは、近畿大の経済学部。この前、塾の先生と決めたんだ。」

葵「そっかー。(わたし、どこにしよっかな・・・)」

葵は未だ白紙のままのプリントを眺めたまま考えていた。

「個別指導チャンス」。葵たちの通う学校の最寄駅にある、中学・高校生をメインターゲットとした塾である。

アクセスがよく、100人近い生徒が通い、京大、阪大をはじめとした難関大学の講師も数多く在籍している。

5年前までは、毎年京大や旧帝大の合格者が数名出ていたが、ここ数年は、最高でも関関同立の合格止まりという状況が続いていた。

 

※塾は架空の名称であり、実在する特定の塾を表しているわけではありません。

 ーーー個別指導塾チャンスーーー

青仁高校3年9組、平順士がこの塾を訪れたのは、2週間ほど前のことだった。

 

体験授業終了後、順士は塾長と面談室で話をしていた。

塾長「体験授業、お疲れ様でした。どうでしたか?」

40代前後のメガネをかけた太った男性がニコニコしながら順士に尋ねた。

個別指導塾チャンスでは、最初に入塾を検討している生徒に対して、最大3回まで無料で授業を行うことができるキャンペーンを行っていた。

順士は体験授業の3回を終えて、塾長と面談しているところだった。

順士「ありがとうございます。どの先生も丁寧に教えてくださいました。ただ・・・」

塾長「ただ?」

順士「僕の会いたい先生にはお会いできませんでした。ここに、優秀な数学の先生がいると聞いたのですが・・・」

塾長「優秀な数学の先生・・・森野先生のことですかね。彼は、数年前にうちを辞めてしまいまして・・・」

そう聞いた瞬間、順士は目を閉じて冷静に答えた。

順士「そうですか・・では、入塾は結構です。どうもありがとうございました。」

塾長「え、ちょっと待って!」

順士が席を立とうとしたちょうどその時、塾の扉が開いた。

???「ごめんください。お久しぶりです。」

塾長「森野先生!」

順士が振り返ると、そこに立っていたのは、銀縁のメガネをかけた背の高い男だった。

森野「ちょっと近くまで来たので寄ってみました。」

森野は表情を変えず、冷静なトーンで塾長に言った。

 

順士「あなたがこの塾に在籍していた数学の優秀な先生ですか。」

森野「優秀かは知らないが、確かに俺はこの塾に数学専門として在籍していた。」

声のトーンを変えることなく、森野は順士に答えた。

 

順士「森野先生。僕に数学を教えてください。」

順士もまた森野に負けず劣らず冷静な調子で、しかしそれでいて確固たる態度で森野に頭を下げた。

森野「・・・君は?」

森野はしばらく黙っていたが、しばらくしてそう答えた。

順士「僕は、青仁高校の3年9組、平順士と申します。」

森野「青仁高校か・・俺の母校だな。志望校は?」

順士「京都大学、経済学部です。」

順士の答えを聞くと、森野の眼がメガネの奥でキラリと光った。

塾長「ちょっと、平くん!森野先生は今、東京の予備校で勤務されてるんだ。それは無理だよ。」

塾長は額の汗をふきながら順士を制す。

順士「そうですか。先生から教わることができないなら、私は他の塾を探します。」

順士はそのままカバンを持って、面談室を出ようとしたその時だった。

森野「いいですよ。塾長。ここで彼に数学を教えましょう。」

塾長「しかし・・」

森野「青仁のAクラスで京大志望か。いいじゃないですか。私の勘ですが、この生徒かなりのポテンシャルを感じます。塾長、数年ぶりにこの塾から京大生を出したくないですか?私がいた頃みたいに。」

塾長もここ数年の合格実績の低迷に思うところがあるらしく、止めてはいるものの森野の一言にだいぶ気持ちが傾いてきている様子だった。

塾長「そうは言っても、森野先生の仕事は大丈夫なんですか?」

森野「彼の数学だけ、週に2回。という条件なら構いません。君、部活は?」

素早く順士の状況をヒアリングしていく。

 

順士「バスケ部キャプテンです。」

順士もそれに続いて答える。

森野「クラス順位は?」

平「2位です。数学が足を引っ張っています。」

森野「フッ、エリートだな。まずは、クラス1位を目指すぞ。5月の中間考査で結果を出せ。」

2人は塾長を無視したまま話を続けていく。

順士「はい。」

森野「それと、俺が教える限り、京大志望は絶対に変更不可だ。志望校を変更した場合、俺は指導をやめる。」

順士「わかりました。」

森野「よし、平順士。お前の数学を俺が最高レベルまで引き上げてやる。全力でついてこい。」

森野は順士をまっすぐ見て、そう宣言した。

 

 ーーー葵の家ーーー

葵は学校が終わると急いで家に帰ってきた。

今日から、本格的に考の授業が始まるのだ。

果たして、17時半に考はやってきた。

考「葵さん、今日から改めてよろしく。」

葵「よろしくお願いします。」

考「いや、それにしても葵さんのテスト。最高だったよ。僕のじっくり読んでって意味、分かってくれたみたいだね。」

葵「でも、全然時間足りなかったし・・・勝負はボロ負けだったし。」

思わず、奈々との勝負のことが口に出そうになって、あわてて口を押さえた。

考「いや、この文章でこれだけ読めたら大したものだ。まだまだ葵さんは伸びるよ!」

勉強に関して、ここまで褒められたことは高校に入ってから初めてだった。少しむずがゆさを感じながら、葵は昼休みに真央に言われたことを思い出した。

 

葵「あ、そういえば。先生ってもう社会人ですよね。大学どこだったんですか?」

考「どこかの大学だよ。」

考はいつものようにニコッと笑って答える。

葵「ちゃんと教えてくださいよ。」

考「僕の出身大学なんて、知る必要はないよ。例えば、僕がハーバード大卒だと言ったら?」

葵「えっ、ハーバードなの先生!?」

外国の大学はよく知らないけれど、ハーバード大学がすごいということは何となく知っていた。

考「ほら、そういう反応になるだろう?ちなみに、ハーバード大卒ではない。」

葵「なんだ・・」

考「がっかりした?でもそういうのって僕は勉強の障害になると思うんだ。」

葵「?」

考「もちろん、学歴はその人の学力をある程度は保証してくれる。でも、そのことと、その人があなたにとってベストの先生かどうかってことは、よく考えてみれば全く関係ないんだ。」

考「たとえ学歴がなくても、大学入学後にいっぱい勉強して、その学歴をはるかに超える知識を持ってる先生だって大勢いる。そういう人の方が頼りになったりすることだって普通にあるからね。」

葵「まぁ、確かに・・」

そういえばそうだ。葵のテニス部の顧問もそうだった。テニス自体はあまり上手くはないが、教え方が的確で、みるみるうちにテニスが上達していったことを思い出した。

葵は他の友達と一緒に高校からテニスを始めたが、入部して半年後には、皆それなりに試合ができるほどの基礎を身につけることができたのだった。

考「というわけで、僕の出身大は『どこかの大学』です。まあ、学力的には問題なく教え切るつもりでいるからそこは安心して。」

葵「はーい。」

やはり大学は気になったが、これ以上はもう教えてくれないだろうなと諦めた。

考「そういえば、葵さんは志望校とか決まってたりする?」

考が話題を変えた。

葵「あ、そうだった!志望校って、どうやって決めたらいいんですか?これ、出さないとダメなんです。」

葵は、学校からもらった志望校調査の紙を考に見せた。

考「そもそも、葵さんは大学にどうして行きたいの?」

葵「うーん・・・」

考「何かやりたいこととかないの?」

葵「正直、将来のこととかまだあんまよく分からないんですよね。大学もとりあえず行った方がいいから行くって感じかもです。」

考「まあ、そういう生徒は多いし、僕だってちゃんとこうなりたいって高校生の時から思ってたわけじゃないから気持ちはわかるよ。ただ、高校3年生になったし、そろそろ志望校は決めておいた方が良さそうだ。目標が決まると、確かにモチベーションも上がるからね。」

 

葵「そうですよね〜。昨年、オーキャン(オープンキャンパスの略)行っとけばよかったなー。」

部活が忙しい、、、というわけでもなかったが、まだ進路なんて考えなくても大丈夫だと思っていたため、これまでどこにもオープンキャンパスなんて行ったことがなかった。

 

考「じゃ、もし、志望校が決まらなくて困っているなら、、」

考は持ってきていたパソコンを取り出して、何かを検索しはじめた。

考「こことかどう?」

考はパソコンの画面を葵の方に見せた。

葵「ええええ!?」

葵は、思わず声を上げてしまった。

ディスプレイには、京都大学のホームページが映し出されていた。

 

次回:第6話「志望校決定」

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