連載ストーリー

第2話「勉強する動機」

〜前回のあらすじ〜

青仁高校3年6組の在川葵(ありかわ あおい)は、かつてより確執があった同じテニス部の部長服部奈々(はっとり なな)にからかわれたことをきっかけに、口論となる。

奈々からの提案で、翌日から行われる実力テストの点数を競い、負けた方がテニス部を退部するという勝負を行うこととなった。これまでもたびたび葵のことを見下してきた奈々に対し、葵はもう引き下がれないと勝負を受けて立つのであった。

しかし、葵は校内平均かそれ以下の学力であり、奈々は難関大志望者で構成された選抜クラス(通称Aクラス)のメンバーであった。

実力テストを翌日に控え、ほぼ絶望的な状況で帰宅した葵。そこに弟の俊(しゅん)の家庭教師として、一人の男が現れた。

※第一話はこちらから。

 

浪越考(なみこし こう)、家庭教師の男は、母に名刺を渡し、軽く頭を下げた。

 

母「浪越先生、こちらこそよろしくお願いします。こちらが俊です。」

俊「お願いします。」

考「よろしくお願いします。」

浪越は年下で生徒になる俊に対してもきちんと敬語を使い、頭を下げた。

母「ほら、葵も」

葵「あっ、姉の葵です・・・」

廊下の後ろから二人を見ていた葵は、少し玄関に近寄っていき、軽く会釈をする。

考「お姉さんがいらっしゃったのですね。こんにちは。」

考は葵に対しても、丁寧にあいさつをした。

葵「・・・」

母「すみません。この子人見知りで・・・高校3年生で今年大学受験なんです。」

俊「そうだ、姉ちゃんも先生に教えてもらえば?塾とか何も行ってないじゃん。」

 

突然の俊の提案に驚きながら、同時に少し呆れた様子で、

葵「私は・・・いいから・・」

そういって、葵は、自分の部屋へ去っていった。

母「どうしたのかしらあの子。いつもはもうちょっと明るいんだけど・・・」

俊「緊張してるんじゃね?突然、爽やかな先生が来たから。さ、先生!よろしくお願いします!」

俊はこれから始まる授業を早く受けたくて仕方ない様子で、自分の部屋へ入りながら言った。

母「そうね。じゃ、先生、お願いします。」

 

 葵の部屋

葵は部屋に入ると、ベットに倒れ込んだ。

葵「家庭教師か・・・」

ぼーっと天井を眺めたまま、独りでつぶやいた。

明日のテストに向けて勉強しなければならないのはわかっているが、そもそも勝てる気のしない勝負に対して、すでに戦意は喪失しかけていた。

葵「(服部さんは私のことなんか気にせず、勉強するんだろうな。真央もあの塾に入って大学生の先生に教わってどんどん賢くなっていくんだろうな。俊もいつの間にか、高校入試の勉強を始めてるし。)」

自分だけがこの場に置き去りにされているように感じ、マイナス思考が加速していく。

葵「なんか、つまらない。(いつの間にこんなにつまらない毎日になったのだろう。いや、実は昔もそんなに楽しくなんてなかったのかもしれない。なんとなく友達と付き合って、なんとなく勉強して部活して・・・そして、何となく大人になるんだろうな・・・)」

向かいの俊の部屋から、考と談笑する俊の声が聞こえてくる。

正直、気になるほどではなかったが、とても気に障った。自分を差し置いて先に進んでいく周囲の人々に対して、悔しさや寂しさや、そう感じてしまう自分に対するふがいなさ。様々な感情がごちゃまぜになり、それは苛立ちへと変わった。

葵「楽しそうにしてるの、なんか腹立つ。」

葵は、自分の部屋を出ると、向かいにある俊の部屋のドアを開け放った。

葵「あのさ、うるさくて、勉強、集中できないんだけど。」

少し、きつめの言い方だった。俊と考は楽しそうな雰囲気のまま、葵の方を向いた。

考「あ、すみません。」

考は、葵のトゲのある言い方を少しも気にすることなく、素直に謝った。

葵「中学生の勉強なんか簡単でしょ。そんなの一人で勉強しなさいよ。」

まるで家庭教師などいらないと言わんばかりの言い方をした。

俊「いきなりなんだよ。姉ちゃんには関係ないだろ!姉ちゃんだっていつもは勉強してないくせに。」

水を刺された俊は当然ながら腹立たしく答えた。

葵「うっ、私は明日、実力テストがあって、今日はしっかりやろうと思ってたの!あんたにはわからないだろうけど、すっごい大事なテストなんだから。」

考「そっか、実テが控えているんだね。それは、大変だ。」

二人のやりとりを黙って聞いていた考は、初めて口を開いた。

俊「実テ?何それ?」

考「みんなはそう呼んでいたけど・・実力テストというのは、定期テストと違って、教科書やワークから出るわけじゃない。いわば、模試を受けるような感じなんだ。」

葵「(あ、確かに模試に似てるかも。。今までは何となく試験範囲のない面倒なテストくらいにしか思ってなかった。)」

俊「へぇ、先生詳しいね。」

考「実は、僕が教えている生徒のほとんどは、高校生なんだ。もちろん、中学生も大歓迎だけどね。」

葵「そういうわけだから、あんたのテスト勉強とわけが違うの。」

俊「なんだよ、偉そうに。自分の弟が勉強しているのになんで邪魔するんだよ。」

 

そう言われて、葵はすぐに言い返すことができなかった。

俊の言っていることの方が筋が通っていると自分にもはっきりわかったからだった。しかし、ここまできて、引き下がるのも嫌だったし、なにより、とてもイライラした。

葵「だから、高校入試の勉強なんか先生なしでやりなさいって言ってるの!お金の無駄よ!」

気づけば、声も大きくなっていた。

俊「それは言い過ぎだろ!」

負けじと俊も言い返す。もはや、授業どころではない、姉弟喧嘩が起ころうとしたその時だった。

考「まぁまぁ。」

考は動揺することなく、二人を制し、俊に尋ねた。

考「俊くんは、どうして僕に家庭教師をお願いしたの?」

俊「それは・・・なんか、このままじゃ不安だったし。」

考「確かに、受験生になると不安になるね。でも、他に理由があったんじゃない?ほら、電話で僕に話してくれたやつ。」

穏やかな調子で俊に尋ねる。

俊「いや、あれは・・・」

俊が答えるのをためらっている様子を見て、葵が口を出した。

葵「どうせ、好きな子と同じ高校に行きたいとかじゃないの?」

俊「そんなんじゃないよ。ただ・・・」

歯切れの悪い俊の受け答えに対し、再びイライラが募ってくる。

葵「ただ、何なのよ!」

俊「ただ・・勉強したいって思ったから。」

葵「え?」

葵は自分の耳を疑った。

俊「もちろん、テストでいい点を取りたい、とか志望校に行きたい、とかはあるけど。なんか学校で習ってることをもっとちゃんと知りたいって思ったんだ。」

俊の言葉には意思の強さのようなものが込められていた。そして、葵はそれを確かに感じていた。

考「そう。だから、僕は君のところに来た。あと、俊くんはこうも言ってたね。『そしたらもっと楽しいと思うから』って」

葵「楽しい・・・」

考「たったそれだけの理由って思った?」

葵「・・・」

葵は何も言い返せなかった。あまりに予想外の答えだったため、どう文句をつけていいのかさえ思い付かなかった。

考「フフ。俊くん。『学校』という言葉は英語で何て言う?」

考は優しく笑うと、俊に尋ねた。

俊「school(スクール)でしょ。」

考「そう。じゃ、今度は葵さん。schoolという単語の語源て知ってる?」

考は初めて葵に対して問いかけた。葵は突然で少し驚いてしまった。

葵「え、語源??さぁ、知らないけど。。」

苛立ちと少しの恥ずかしさが入り混じった気持ちで、答えた。

考「schoolの語源をたどっていくと、skhole(スコレ)というギリシア語にたどり着く。その意味は暇、余暇なんだ。」

葵「暇?」

考「うん。想像するとわかるように、まだ文明が十分に発達していない古代は、日々生活のための行動で一日が終わっていったんだ。作物を育てたり、水を汲んだり、洗濯だって一苦労だ。

だから、それは古代ギリシアでも例外ではなかった。当時、学問ができるのは、使用人を雇うことのできる裕福な人々、つまり、お金や時間に余裕のある人々に限られていた。

その暇(スコレ)を使って勉強していたんだね。まぁみんながそうじゃなかったとは思うけど、勉強とは、本来、好きでやるものなんだ。」

考「だから俊くんの答えは本質を突いている。こういう子は伸びるよ。だって、学びを楽しみたいと思っているから。」

俊「へへっ、褒められた。」

俊はちょっと照れくさそうだった。

考「勉強が楽しいという子は少ないかもしれない。でも、それは楽しさに気づいていないだけだと僕は思っている。」

葵「(勉強が楽しい??この人は何を言っているんだろう。どうせ、もともと勉強が好きなガリ勉タイプで、自分が勉強できるからって、家庭教師になっただけでしょ。こういう人には私の気持ちなんかわかるわけない。)」

葵は今の自分の境遇もあって、言い返さずにはいられなかった。

葵「そんなの、ただのきれいごとだよ・・実際には、試験があって、順位や偏差値が出て、学歴がモノをいう世界じゃん!大学だって、合格する人と落ちる人が絶対いるし。

先生だって、どうせ見込みのある賢い子だけを選んで教えてるんでしょ。自分の実績のために。」

俊「姉ちゃん!何てこと言うんだ」

考「いや、葵さんの言ってることもよくわかる。高校生は常に他人との比較にさらされているからね。特に進学校では学力がまるでその人の価値であるかのように見られることもしばしばだ。

確かにそうだ。葵は、これまでの高校生活の中で該当する場面をすぐに思い出すことができた。

勉強のできる生徒は、先生に一目置かれ、周囲の生徒からもチヤホヤされる。

葵のような平均(かそれ以下)の生徒は、正直何かを期待されたことなど一度もない。

先生たちは別に厳しいわけではないが、その代わりに君にできるなんて思ってもいない、と言わんばかりの態度で日々接してくる。

その諦められているような優しさが時々とても悲しかった。

考「さて、葵さん。そんな環境の中で、勉強する目的ってどうなると思う?」

葵「・・・」

考の新たな問いに対して、葵は言葉を失った。

 

テストのための勉強

葵「!!」

考「もっと言えば、テストでいい点をとることで手に入る良い評価のための勉強。楽しさなんかは二の次。もっとも、いい成績が取れれば楽しいかもしれないけど。でもそれは後からついてくるもので、先じゃない。」

葵は黙って俊の部屋の入り口で立っていた。

そうだ。

その通りだ。

この人が言っていることは綺麗事だし、私の現実なんてちっとも理解してないけど、、、

でも、、

本当はそうあって欲しいと私も思っていたんじゃないか。

葵「・・・」

部屋に沈黙が続く。

その沈黙を破ったのは考だった。

考「葵さん、勉強ってもっと楽しいよ。」

そう言って葵に微笑んだ。

葵「そんなこと・・・いきなり言われたって信じられるわけないよ。

(そう。明日は実力テスト。結局、現実なんてそんなものだ。

いくら勉強は楽しいとか綺麗事を言ったって、明日私は、実力のなさを痛感し、服部さんとの勝負にも負けてしまうんだろう。)」

葵は力なくそうつぶやいた。

考「ん〜、それは確かにそうだよね。」

考は少し考えた後で、何かを思いついたように言った。

考「あ、そうだ。明日の実力テスト。そこで証明できるよ。勉強が楽しいってこと。」

 

葵「え?実力テストで?」

突然話が現実に戻ってきたので、葵は自分の明日の実力テストのことを言っているのだと理解するのに時間がかかった。

考「うん。もし興味があったら、俊くんの授業が終わったら聞きにおいで。さぁ、俊くん。つづきからいこうか。」

俊と浪越は授業を再開したため、葵は仕方なく部屋に戻った。

 

再びベットに横たわって先ほどのやりとりをぼーっと思い出していた。

葵「何あの人・・・勉強が楽しいなんて。それはできる人だからで、私みたいなバカにはそんな風に思えるわけない。」

葵「でも、あの人の言ってること・・・」

 

葵のことを配慮してか、聞こえる声は小さくなっていた。

 

 

 数十分後

ガチャ。

ドアの開く音がして、2人の足音がリビングへと向かっていった。

葵「(終わったみたい・・・私はどうすればいいの。というよりも・・・私はどうしたいの。)」

葵はまだ決めかねていた。

葵「(あれだけ俊に対して文句を言った後で、今さらのこのこと出ていくのは正直嫌だ。

恥ずかしいし、なんか負けたみたいで。。

でも、正直に言って、このままじゃいけないって思ってた

服部さんとの勝負、

3年生の4月、

そして、家庭教師の先生。。

変わるなら今しかない!!)」

葵はベットから起き上がり、部屋を飛び出した。

リビングでは、俊と母が、浪越と話していた。

母「葵、どうしたの?俊は浪越先生のこと、気に入ったみたいよ。」

葵は考の方へ向かっていき、勇気を出して言った。

葵「あの・・・教えてよ。・・・じゃなくて、教えてください!どうやったら楽しめるのか!

 

次回→第3話:「秘策と大自然」

 

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